戦争、暴力、いじめの原因 — 目的のすり替えと共感力

この記事を書く数日前、フランスで大規模なテロが発生した。

国際社会で「テロとの戦い」をずっと続けているのに無くなる気配がない。

そうしたテロや戦争の原因をテーマの1つとした番組があったのでここで紹介したい。


SWITCHインタビュー達人達 山極壽一×関野吉晴 - NHK(Eテレ)
2015年8月15日放送
2015年11月21日(土)・26日(木) 再放送
(テーマ「戦争」: 24分15秒頃~33分00秒頃)

引用はこの番組における、山極壽一教授(霊長類・人類学者)の発言です。


殺すことが目的になってしまった理由

狩猟採集っていうのは経済行為であってね、獲物を確実に、しかも効率良く仕留めることがその目的になる。

でも戦争の場合にはそうではないですね。

主張を言い合って、その主張を相手が認めればそれ以上戦うこともないし、

つまり自分の主張を相手に認めさせるための脅しであったり、強い自己主張であったりするために、

何らかの威嚇器が使われるわけで、相手を殺すことが目的ではないわけですよ。



それが段々転化していくわけです。
 相手を抹殺することが、あたかも戦争の目的のようにね。



言葉は本来の目的を変えて、あるいは違うものを一緒に考えることを促進するわけですね。


そのために本来違うものを一緒にして考えるということが可能になってしまった。

それは、やっぱり政治のために利用されたりするわけですよね。



今回のようなテロを見ていて思うのは、欧米をはじめとした各国が「テロリストを殺害しました」と朗報のように報道してるうちは、テロリスト側が同じように考えても文句は言えないということだ。

この問題の背景には、やはり手段だったはずの暴力や相手を抹殺しようとする試みが、目的にすり替えられているということがあるように思う。

「テロとの戦い」なんて言うけど、テロリストが永遠の敵であるかのような印象を人々に刷り込み、殺人を正当化してるのにすぎないのではないか。

テロリストを殺すことではなく、無力化することが目的ならまだ理解できるが。


究極の理由は「共感力」?

人間は非常に高い共感力を育てたんです。その共感力という点で、チンパンジーやゴリラなどの類人猿とははっきり線を引けるわけです。


共感性というのは、共通の敵がいて、それが人間でないときは、人間を平和に生き延びさせる手段になってきた。

しかしそれが環境からだんだん消えていって、人工的な環境で暮らすようになると、人間の敵を作らなければ自分たちのアイデンティティを保てなくなってきた。

ということがね、僕はその背後にあるんじゃないかなと思ってるんですけどね。




「敵」をでっちあげて「正義の戦争」をすることで団結心を煽り、政治家が票稼ぎに利用する。こういった構図がなくならない限り、誰も得をしない殺し合いは続くでしょう。


「正義の戦争はあるか」というテーマはよく議論されるけれど、それ以前に絶対的・普遍的「正義」がないのだから議論は不毛だ。

正義というのは不確かで主観的なものなのだから、無理にいうなら「主観的な正義の戦争」はあるし、「絶対的な正義の戦争」は無いということになるのだろう。


極論かもしれないが、子供向けアニメなんかでも、あたかも絶対的な正義があるかのように捏造し、「正義の味方」の暴力を正当化しているようにも見える。

アンパンチなどと言ってバイキンマンを説得しようともせず一発殴って解決するなど、ヤクザのようなものではないか。


教育現場などにおけるいじめの問題だってそうでしょう。

不快な思いをするなどして、相手にその行為をしないよう求めるために行っていた一種の攻撃や脅しが、いつしか相手に不快感を与えることを目的とするようになる。

それが共感力、団結力の負の側面としてクラスじゅうに伝播し、あたかもそれが正しいことであるかのような錯覚を起こす。

特に子供は、善意も悪意も持たずにした行動が相手に影響を与えるという意識が薄いからそういった行動に走りやすいのかもしれません。





「サル化した人間社会」
平和で平等なゴリラ社会から、絶対的な身分関係を持つサル社会に向かっていることに警鐘を鳴らす。


「暴力はどこからきたか」
テーマを暴力に絞り、霊長類などの行動や人類の歴史を通して暴力の起源を探る。


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